日本は違いますが、多くの国で、近代の始まりは、傲慢な政治体制から国民が権利をもぎとることでした。
国民は血を流して戦ってでも、自分たちの権利、民主主義を勝ち取りました。
次に国民が戦ったのは企業でした。
例えば、戦後のモノ不足の中、強いのはモノを持っている人間。
モノを持っている人間、モノを売ることができる人間でした。
ですから、消費者は多少品質が悪くても諦めざるをえなかったり、
公害といった問題も発生しても、力なく消費者はうなだれるだけ。
そんな中から、消費者の権利を主張し、今の日本があります。
ただ、今の日本は幸せな状況でしょうか?
統計データはともかく、国民の感情としては、「不況」と言わざるを得ない状況。
そして、賃金は上がらないにも関わらず、求められるサービス水準はドンドン上がり、景気の悪さ以上に、どんどん社会は生きにくさを増していくように感じられます。
傲慢な政治、傲慢な企業に続いて、国民の敵となっている者。
それは・・・
傲慢な消費者ではないでしょうか?

■理不尽な要求をする「弱者」
最も悪質であるクレーマーたちは、消費者であるというその地位だけを根拠にして、一国の国家元首にでも匹敵するかのようなふるまいをします。
また、自分はクレーマーではないと思う人たちも、通販サイトの商品が3日後に届いたら、遅いと感じてしまいませんか??
納期を守れ! 品質をあげろ! けれど値段は下げろ! と。
圧力をかけたつもりはなくても、それを当然のことと思い、当然と思ったことが果たされないと、当たり前のようにそれに幻滅してしまうのです。
もちろん、消費者の権利と企業の努力を否定するわけではないんです。
ただ、消費者がほんのちょっぴり満足するために、消費者の機嫌を損ねないために、企業がしている労力が多大過ぎる、満足度と苦労のバランスが噛み合ってないように感じるのです。
時に、事故などの被害者が陥る「被害者の傲慢」に似た残酷さを持って、「弱い消費者をいじめるな!」という言葉のもとに企業を批判する。
もう、「弱い者」は入れ替わっているというのに・・・
弱きものは弱さを盾にすることはできますが、今、消費者は弱さを武器にしてしまっています。

そして、消費者に求められた過剰なサービスは、そのまま過酷な労働条件として労働者にのしかかってきます。
■効率性を阻害するまでの過剰サービス
納期を守れ! 品質をあげろ! けれど値段は下げろ!
消費者にこう言われた状況で、企業が利益を出していく方法は一つです。
それは、その理不尽な要求を、そのまま社員である労働者に転嫁させていくこと。
「取引先が明日までに欲しいといったから、今日は残業してくれ。」
「お客様の満足の為、折り紙を折って全部屋に置いてくれ。もちろん、業務時間内に」
出典も覚えていないのですが、
日本のガードマンが、警備中ずーっと立ち尽くしているのを見て、外国のガードマンが、「そんなんじゃ、いざという時疲れていて、泥棒に逃げられちゃうぞ!」と。
ガードマンだって、スーパーのレジの方だって、座れる状況であれば、座っていいと思うんですよね。
品質だとか、本来の商品・内容については厳しくあっても、ガードマンの事例のように、無駄どころか、時にはマイナス、効率性の阻害要因になっても、なぜだか求められているサービスは多いのです。
そしてなぜだか、働いている人はツラくなければいけない、労働とはツラいものでなければいけない、みたいな変な信仰がある人も少なくない気がします。
レジのかたが座っていても、何もマイナスはないですよね・・・
消費者と企業のバランスがおかしくなっている現代。
そして、企業が労働者へその理不尽な要求をそのまま通過させている現代。
現状の「消費者、企業、労働者の関係」はこのように、過度で理不尽な要求の押し付け合いになっています。

けれど、私達消費者は、企業(団体)の従業員でもあるのです。
自分が賃金を直接生み出していなくても、家族が働いて賃金を得ていたり、また税と社会福祉を経由することで、
企業の利益が労働の対価として分配され、消費者は金銭を得ているのです。
消費者として、企業にサービスの向上を要求する私たちは、その要求により労働者としての自分たちの首を絞めているのです。
■消費者としては最強、労働者としては最弱な日本人
今は、企業に対して、消費者が強くなりすぎている。
そして、結果として労働者としての個人に対して、消費者としての個人が強くなりすぎています。
ですので、「消費者である!」という地位だけを根拠に、スーパーで理不尽な要求を突きつけるクレーマーも、職場では顧客にペコペコと頭を下げていたりします。
そして、たまったストレスを、ただ「消費者である」というだけで優位に立てる、お店にまた押し付けるのでしょうか??
企業が強くなることは、従業員が強くなること。
そして、従業員が強くなることは、消費者・国民が強くなることなのです。
消費者が企業より強くなることを目指した社会は、この労働者=消費者という視点が欠けていました。
消費者と労働者が一体であることさえ認識すれば、企業と労働者は金銭と労働時間が見合った適切な雇用関係を結び、消費者も労働者に適切な給与を出せるレベルの価格で企業からモノを購入するのが健全な関係であると理解できるのではないでしょうか?

企業が消費者に対して、過度なサービスをやめること、
そして、それを実現するために、
消費者が過度なサービスをやめた企業を、消費者の利益となるとして評価すること。
これらが、揃ってこそ、真に消費者は、国民は豊かになれます。
私がいう、早い・安い・うまいといった、原価をあげる・企業の首を絞めるようなプラス要因(強み)を追求していくのではなく、企業の個性(尖り)を追求していく「尖り型マーケティング」のポイントは、過剰な消費者目線から脱して、企業が主役になること。
そして、そのことが結果として国民を幸せにし、さらに真に魅力的な商品を生み、真の顧客利益につながると思っています。
※話を単純化するために 消費者、企業、労働者としましたが。
消費者の要求→小売店の要求→卸売店の要求→製造メーカーの要求→下請企業
と、実際には企業間でも、この理不尽な要求の押し付け合いが起こっていると思います。